生命論 【一念三千の法門】



大恒星と連星のブラックホ―ル(時事通信社)〖写真は想像図NASAなど提供〗
  地球から300光年離れた33銀河で、質量が太陽の15,7倍のブラックホ―ル                 が太陽の70倍もある事が解った〃。
                                                     
  〝生きている〞無限の大宇宙は生きている!。
     是を観て宇宙が大生命体であると理解できると想う〃。
        大宇宙に浮かぶ小さな地球・・・~
     この地球上の神羅万象!動植物みな生きている〃
     動植物、人間は勿論!不思議な生命の変動・・・
     不思議な生命の移り変わりを僅かでも解明の                         参考になれば幸いに思います〃。
     
一念三千の法門 NO 1
   日常の生活や、あらゆる働きの根本と成る物が私達の生命です〃。
   仏法では!!この〖生命の実相〗この本質を 【一念三千】 で説き明かされている。
   【一念三千】とは、一瞬の生命の働きに十界を具し、十界が互具して百界となり、百界に
   十如是を具して!千如是となる。千如是に三種の世間を具して三千世間と成ります〃
   一瞬の生命に、この三千種が具していると!説いているのが【一念三千】と云われている。
   要するに生命は、透明のガラスの容器に入れた水の様な物です〃。
   これに様々な色の光線を当てると変色する、環境の縁によって生命に種々の働きが興るのです!
   是が【一念三千の法門】です。
   一種の領域を界と称し、基になる十種の領域を十界と云われている!。
   次に~十界を一界ごとに分けながら説いて綴リます・・・~
  
地獄界~人は、よく地獄へ逝って様々な鬼から攻められて苦しむ等の物語や迷信化されて
   いるが本来、私達日常生活に於いての事、我が子が死んだり、借金に苦しむ等の煩悩・悩み
   苦しみを心に感じ、肉体及び生活に現ずる事を指すのです。
  
餓鬼界~欲を貪り満足を知らない~卑しい生命の状態、よく子供たちを〝餓鬼〞と言った
   事を耳にした事があったと思うが!それを言います。
  
畜生界目先の事に捉われて、根本を忘れる愚かな状態、自分より強い者を恐れ~
   弱い者を侮る犬猫同様の生命に支配される状態を言う。
  
修羅界~心が曲がっている為、素直に物事を考える事が出来ずに正しい事を言われても?
    直ぐに!カッと成り!腹立ちの状態に満ち満ちている時を〝修羅〞と言います。
   地獄界・餓鬼界・畜生界・修羅界、これら四種を四悪趣と説かれている。

  
四種に支配されて居る生活には、絶対に幸福は有りません〃。
  
人 界~親兄弟・友人等を人並みに思いやる!〔懐かしがったり心配する〕平かな生命。
    人間本来の穏やかな生命の状態です。
  
天 界~欲しいと思っていた物が手に入った時とか!自分の想いどうりに事が運んだ時等、
     何か願いが叶った時、有頂天になって喜ぶ状態ですが長続きしない喜び!
     一時的な喜びを天界と言う〃。

        
一念三千の法門 No 2
      此れまでの六種を【六道】と言って、私達一日の生活は普通 この六種類の状態を縁に触れ
    瞬間々々繰り返し生命を感じていると説かれている〃六道輪廻とも云う。
    上記の他に、私達が学問や修養・努力等によって、得られる生命の状態が、次の二種です。
   
声聞界~在る理論をつかみ、理解が出来てくる時に喜びを感じ、その思想をもって人生観
    とする!私達が読書をした時に多く心を支配する。  インテリィ―階級が其れである〃。
   
縁覚界~多種多用に携わる人達が、仕事で身体を働かせる事によって、何とも言えない
    苦しみを忘れた〝三昧境〞~即ち悟りと言うべき状態を心に感じる時などの生命の働きを言う
    俗に言う、名人上手の心境は是にあたる。
    声聞と縁覚は、〝二乗〞とも云う!声聞は空理を突き詰め、煩悩を断ち切ろうと努め修行する
    縁覚は、一分の理を縁に依って悟った者を云うのです〃。
   
菩薩界~普通は絵像や仏像として考えるが、私達が自分の特性を発揮して社会の為に
    尽くす働きを、心や肉体に表した時を云います。
      例えば、災害時に助け合うボランティア精神等、行動に表す事です〃。
                 勇気をもって他人に尽くす時は、勇勢菩薩のこころ。
                 知恵をもって行う時は、文殊菩薩の心です〃
        自分を犠牲にしても人を救う〔慈悲〕の心は、弥勒菩薩の命の働きです。
   決して死人や先祖!偶像的な物ではなく、私達の生命は永遠であって滅びる事がないと言うのが
   仏の悟りであり生命の実相で!私達生命の働きの中に、常に存在するのです!!
   私達の実践する事は、この永遠の生命観を証得し、揺るがない幸福生活を実現する事が!
   何方も目指している人生の最終目的なのです。この状態を
仏 界と呼ぶんです〃。
   仏界の生命は、ちょうど怒りと言う生命を、すぐ此処に出す事が出来ないが、縁に触れて現れる
   と同様に、何方も元々持っているもので、この様に地獄界から仏界までの十種の状態が其々の
   縁によって生じ、心身を支配しているのが私達の生命の実態です〃。
   一切の現象の中に十種は常に厳然と存在する! ところがこの十種は重なって現れない

   地獄を感じる瞬間は縁覚やその他の環境は無く、怒りの状態に立つ瞬間は一切の物が怒りに
   満ち満ちて、人界や天界等の姿は見られない、この様に二種が同時に現れる事は皆無です〃
   個々に於いて私達が、強く揺るがない清らかな仏の境涯に立つ為には、どの環境も必ず縁に
   よって生ずると同じく
仏界の生命の顕現すべき対象がなくてはなりません!!。
   
現世は末法時代です!!。

   この時代に合った教義でなければ仏界の生命は顕現しないと仏法の説です。
   『人身は受け難し爪上の土』 生命は輪廻転生と謂われているが!再び人間に生まれる事は、
   ほんの僅かと説かれています。 自身の内なる貪り・瞋り・痴(おろか)の三毒と言う煩悩が、
   人間の不幸の根本原因です〃。 是を打ち破る大宇宙の根源の力であり!~
   尊極無常の生命が【仏 界】なのです〃。 この仏の生命を万人具えていると教えている〃。
   何んと素晴らしい哲学じゃありませんか!?
   【仏界の生命】要約して言えば、最高の慈悲・最高の知恵の働き!ぜんぶの生命活動の
   源泉です。仏界の生命〞の湧現こそ、苦悩や煩悩等に支配・翻弄され
   仏界の生命〞の湧現こそ、苦悩や煩悩等に支配・翻弄されている自身を乗り越え本来の自己を
     確立する、源努力になるのです!!。
   我が胸中の仏界を湧現して〃仏の境涯を確立する事が、一生成仏・絶対的幸福境涯!への道
   であり!〖人間革命〗即ち究極の目的です〃。


        
一念三千の法門 No 3
   次に~十界が互具して百界になる〞を説いてみましょう 。
   人界の生命状態から説いてみますと、人界の中に、更に十界が在ると言う事で、地獄界から
   仏界までの十種の生命の働きを指します 。
   例えば、私達が日常生活に、人間らしく穏やかな心の状態の時に、突然不幸が訪れたとします!
   驚き悩むでしょう!?、この状態は人界の中の地獄界です〃。
   その不幸が思っていたより早く解決したとします! そこで、直ぐに喜び安心するでしょう?~
   人界の中の天界の心境です〃。
   或いは、理由もなく突然に殴られたとします、どうですか?何方も、カッと成り怒りますよね!?
   十界の中の修羅界の状態です〃。
   私達人間は、一念《一瞬》の生命の移り変わりが休む事無く心が変化しつつ毎日の人生を暮らし
   過ごしている、この様に十種の生命状態が、百種の働きに成る事は幾らかは解ったと思います。
   次に~百界に十如是を具して千如是になり〞を説いてみます〃。
   
十如是 〖法華経方便品第二〗に於いて説かれている『所謂 諸法の如是相・如是性・如是体
   如是力・如是作・如是因・如是縁・如是果・如是報・如是本から末迄究境して等しい』 と・・・。
   宇宙の神羅万象が悉く、十如是の当体であり、瞬間々々!生命が悉く十如を備えている事を!
   『諸法実相』と説かれているのです〃。
   《
如是相》~相、是くの如しと読みます。〝相〞とは外面の姿 形で人間なれば肉体を言います
   《
如是性》~性、とは内面の性質・精神・心・知恵などを謂います 。
   《
如是体》~体、とは物質と精神と言う様に、分けないで、一人の人間が居るとか、一匹の犬が
   いると言う様に、一個の生命自体を言うのです。
   《
如是力》~その体に内在している〝〞の事を言います!。
   《
如是作》~その力が〔作用〕働き出す事を言います!。その働きは叉その生命自体の何らかの
   《
如是因》~因によって興るのです〝〞は外界の助縁如是縁》と、和合して〝〞《如是果
   を生みます。 そうして果報《
如是報》を結ぶのです〃始めの(相)を〝〞として、終わりの(報)
   を〝〞として、本末は究竟して等しい〃。 即ち、九如是に分けられるにして、一個の生命の
   〝一瞬の因果〞(原因結果)だと説いております〃。
   是まで説いてきた十如是と、先の百界をかけると、千如と成ります。
   〖十界✕十界✕十如是〗此れにかける事の〖三世間〗で三千世間と成る事です。
   是が【一念三千】の法門と云う、哲理なのです〃
   ☛私達民衆も同じですが、〝人相〞と言うものを持ってます〃人界の時は穏やかな相をして
   おりますが、それが突然に修羅の生命の時は何方が見ても怒りの相に見えますねぇ~?
   この怒っている性分を、〝如是性〞と呼びます。
   ☛怒っている時の肉体を言い、怒りが大の時は~体を震わせ堪えている様子を見た経験が?
   ☛〝如是力〞その時の力!、必ず作用☛〝如是作〞が有り、作用が有るには~原因
   〝如是因〞が有ります、その☛〝如是縁〞は、他人・動物、叉はいろんな環境がある。
   修羅と化し、相手に暴力を振るったり!、八つ当たりして物を破損させたりする事が、☞結果
   〝如是果〞として現れる。
   その結果!?を受ける。 反対に相手から反抗されて!大怪我をする〃~〝如是報〞
   叉は、大事にしていた物を壊して大損をする事になる〃 このような実態を報いと言います。
   重ねて此処に、修羅界の生命状態を例にして説いてみます~。
   本の〝相〞〔如是相〕~〔如是報〕まで、一貫して怒りに支配されている、〝本(相)と末〞(如是)
   是の如し!、〔究竟等〕一貫して等しいと説いている。


         
 一念三千の法門 No 4
   怒りが浸透してるのに人相が心からの笑顔を作る事は到底出来ません
   〝人間として愉快な人生を生きる為には〞!?・・・
   我ら人類は最低でも!四悪趣〔地獄・餓鬼・畜生・修羅〕の生命の働きを抑え、人間界から~
   菩薩界までの生命状態を保ち、人間らしく生きたいと思います〃。
   此処まで千如是を説きましたが三千に成るには、この後に〖
三世間〗と言うものが控えている。
   五陰世間(ごおんせけん)・衆生世間・国土世間、の三種類です。
   《五陰》ごおんとは色・受・想・行・識、この五種です〃。
   〝陰〞とは覆い隠すの意味を九界に訳せば、善を覆い隠している、〝慈悲〞に包まれている。
   集まるの意味で九界に訳せば、〝生死(煩悩)〞の集まりと説いております〃。
   常楽〔いつ何処に居ても楽しい〕が集まっているのだと説いております。
     五陰の仮に和合する事を〝衆生〞と言い、十界にはそれぞれの衆生が居り〖仏界〗は!
   尊極衆生です〃。
   国土世間は十界の住む所、仏は所、寂光土・菩薩は実報土・二乗〔声聞・縁覚〕は方便土~
   天は宮殿・人は大地・地獄〔四悪趣〕は赤鉄に住む等、国土には差別があります。
   仏界の衆生と、人界の衆生の差別を、衆生世間と言う!、同様に国土の差別を国土世間と言う。
   此れまで語って来た様に!一瞬の生命に三千種の働きが在る事が、理解出来たと想います。
   ともあれ、最悪の四悪趣〔地獄・餓鬼・畜生・修羅〕人・天、〔二乗〕声聞・縁覚、〔二聖〕菩薩・仏
   此れ等の十種は、心あるどんな人間にも内在する生命の働きが在るのです〃。
            
せめて、四悪趣の働きを抑える事が出来れば!!
            
争いや殺人!自殺等は、減少する事は確実です〃。